先日、引佐の龍潭寺(りょうたんじ)で、静岡県西部地域の滋賀県人会の交流会がありました。
ご存じの方もおられますが、私は滋賀県の甲賀の生まれで、大学の研究で浜松と出会い、浜松が好きになってこちらに就職し、そのまま議員をやらせていただいています。そういう意味では私も非常に微力ながら、これからも浜松と滋賀の懸け橋になりたいと願っています。でも実は、それ以前に、1000年以上前から浜松と滋賀にはいろんな縁がありました。
簡単な話でいうと、京都に近い湖を持つ(琵琶湖)ということで滋賀県は「近江」と言いますし、浜松地域は京都から遠い湖を持つ(浜名湖)ということで「遠江」と言います。琵琶湖と浜名湖は兄弟だったんですね。
さらにもう一つ、浜松と滋賀をむすぶ大事な人物が、「井伊直政」です。今回の龍潭寺(井伊家の菩提寺)に深く関係するのですが、徳川四天王の筆頭であった井伊氏は、旧引佐町の井伊谷の豪族で、徳川家康につかえて出世し、関ヶ原の後、石田三成の居城であった、滋賀県の佐和山城を拝領します。
その後井伊直政は早く亡くなってしまいますが、その後井伊家は滋賀県・彦根城の城主として、多くの江戸幕府の幹部を輩出し、江戸時代が終わるまで彦根の領主でありました。「篤姫」に出てきた「井伊直弼」さんもその一人ですね。彼は功罪相半ばする評価ですが、少なくとも当時の国政を動かしていた人物であったことは確かです。
戦後になっても、彦根市長を9期36年務めた方も井伊さんと言って、井伊直政の直系です。まあ、殿様のご子息が立候補すれば、他の方は出にくいし、市民は投票してしまうのでしょう。それにしても市長を9期36年は長すぎますけど・・・。
龍潭寺では、「井伊の赤鬼」としておそれられた井伊家の赤備えの甲冑などを見て、当時の武将の覚悟や決意を思い浮かべながら、小堀遠州が作った庭の前で瞑想をさせていただきました。たまにはこういう時間も必要ですね。
さて、写真は龍潭寺の屋根ですが、耐震の関係で、来年には取り壊すそうです。そうすると・・・なんと形も変わってしまうとか。この形の龍潭寺の屋根は、これで見納めになるそうです。耐震のために様々な補強をして、同時に屋根の形も変えるそうです。さらには、工事のために前の庭を取り壊さないといけないようで・・・木も苔もすごくいい風情になっている庭を壊すのは、本当にもったいないと思いました。
そういう意味では、伊勢神宮のように、近くの別の場所に新しく作り直したほうが安あがりで、しかも庭などは残せていいのかもしれないと思いました。まあ、全体のバランスは崩れますので、難しいのかもしれませんが。今回の件に適用は難しいのかもしれませんが、一般論としては伊勢神宮方式も知恵の一つですね。
龍潭寺でゆったりとした時間を過ごし、心をリフレッシュできましたので、年末年始の忙しさを一気に乗り切りたいと思います。また時間があれば、滋賀の佐和山にある龍潭寺(こちらももちろん井伊家の菩提寺)にも行ってみたいと思っています。