最近「核」の話が熱いですね。
北朝鮮が核実験したり、中川政調会長や麻生大臣の核論議問題が一部で盛り上がったり。
それにしても、「議論すること自体がけしからんので辞職すべき」なんて言っている政治家は頭がおかしいんじゃないかと思いますね。
核の問題でも、公務員の待遇の問題でも、部落差別の問題でも、教育基本法の問題でも、どんな問題であれ、政治家が議論することを自ら放棄することは、仕事を放棄しているのと同じことです。それなら、すぐにでもバッジをはずしていただきたいと思います。
日本が今後もアメリカの核の傘の下にいるべきなのか、あるいは自衛可能な体制を作るのか、それには核の議論は避けて通れません。議論して初めて、非核三原則の大切さもわかるし、同時に核とは武力である以上に外交カードとしての役割が大きいことがわかるんだと思います。
私が信頼しているある方から聞いたのですが、第二次大戦で核兵器が登場し、そのため戦車などの地上兵力の不要論が出たそうです。そらそうでしょうね。核を打つかどうかで戦争の結果が決まるんですから。
しかしその後、核兵器の技術も進歩し、今では水爆なども登場して、とてつもない破壊力になってしまった。そうすると、文字通り国ごと消し飛ばすような話になってくる。
すると・・・使えなくなるんですね。核兵器を。恐ろしすぎて。
で、やはり現実的には、戦争は通常兵器でやるしかないということになって、また戦車などの兵器が見直され、進歩するようになった。ということのようです。
いっそのこと、火薬を無くせばいいのに、と思う時があります。刀で斬りあいするようにすれば、そんなに死傷者は出ないし、ひどい戦争をしなくてすむんじゃないかと。実際一本の刀で殺せる人の数なんて限られてますし。
女性や子どもを含む非戦闘員をまとめて殺す兵器はなくしたいと思います。ただその一方で、政治にあるものは常にいろんな議論をしなければならない。それが仕事です。公開できることもできないこともあると思いますが、議論をやめた国はダメになる一方だと思います。
自分は「見ざる、言わざる、聞かざる」を決め込んで、それを他の政治家にも押し付けようとする政治家は、私は信用しません。こういう人は、結局国のことや国民のことを考えているとは思えないので。自分のことだけを考えている気がしてなりません。こういった政治家を増やすと、いろんな面で日本がだめになると思えます。
ということで・・・写真は岐阜にある核融合科学研究所の実験炉です。これはヘリカル式ですね。ちなみに地元企業の浜松ホトニクスはレーザー式の核融合を大阪大学と実験しています。
人間の数が増えすぎたことや、生活の便利さと引き換えに、私たちは「核」とは切り離せない状態になりました。これをどうとらえ、どうするべきなのか、ぜひ皆さんも議論をしていただきたいと思います。