それぞれの判断基準

昨日も帰りが遅くて、そのまま寝てしまいました。
どうも最近遅くまで起きていられなくて・・・ひとつには、今日の朝6時半にオークラ集合だったこともありますが・・・。

それはそうと、よく私のページにコメントくださる方に、静大のM先生がいらっしゃいます。

その方が「市長の条件」というコメントを書かれています。
http://blog.goo.ne.jp/goo05ma12ki/e/361b0dd9583d033f940c488cf51e4e80

こういった、それぞれのご意見を多くの方が持っていただければ、政治は変わるでしょうね。

鈴木会長がやっている行革審も、お役所の御用機関でないこと、手取り足取りお役所が指導する行革ではないあたりが、全国的には「先進的・画期的な取り組み」だとして評価されているものの、それが浜松市民に浸透しているかというと・・・そうでもないですし。

行革審の仕事の中身よりも、「鈴木会長の政治への関与」の是非にすりかえられたり・・・ちょっとおかしいですね。

一市民・一納税者であるのと同時に、多くの社員、関連企業に「コスト削減・利益体質」を求め続け、つまりは「健全経営をして税金を納めろ」と指導している以上、税金のムダ使いに怒るのは当然だと思いますが。

そういう点も含めて、市民が「政治慣れ」「選挙慣れ」していない、と言えるのかもしれませんね。それ以前に、政治を志す側が「政治」や「選挙」の大切さを伝えられていないのかもしれません。

ぜひ皆様もそれぞれの判断基準を作っていただき、またそういう声を聞かせていただければと思います。


この記事へのコメント
税金のムダ使いは絶対にダメ!
しかし、コスト削減・利益体質という市場原理主義が
行政のあり方なのかなぁと疑問も感じます。

人々は豊かな暮らしを望んでいます。
それは経済的な部分と心の豊かさや環境でもあります。
特に浜松市は温暖な気候に恵まれ、市民の心も温厚。
1万円の税金が減ることより、1万円の税金を有意義に
使っていただくことを望んでいる部分もあります。

スズキさんのように何億円も税金を払っている企業は
税金のムダ使いに怒るのは当然だと思いますが、
市民感情は、そこまで緊張感がないのも事実でしょう。

例えば、「母の日」に浜松市から各家庭に一輪のカー
ネーションが送られたら…
税金のムダ使いなのか、市民の心を少しだけ暖かく
できたからムダ使いではないのか?

あれを削れ、これを削れは結構なのですが、削ったお金を
何に有効活用するかを大岡さんには考えていただきたい。
政治家って人々の心も豊かにできる仕事だと思います。
Posted by 山本@浜松市民 at 2006年08月02日 11:08
M先生のブログ早速見てきました。正論ですね。大岡さんは他に面白いブログご存知ですか。ではでは。
Posted by 秋山雅弘 at 2006年08月02日 11:43
皆さんコメントありがとうございます。

秋山さん、またいいのがあったらお伝えします。
山本さん、おっしゃるとおりですね。

ムダ使いを減らして、有効に使う、この後半部分が大事なんだと思います。
ただ、浜松はまだ前半の部分にも到達していない状況です。
だからまずはこのムダ使いを徹底的になくすことに集中しなければなりませんね。

それからは、おっしゃるとおり、地域に密着した政治・自治なんだから、カーネーションのようなちょっと気の利いたコトをやってもいいと思いますね。

私は時折「日本に自治はあるのだろうか?」と思うことがあります。地方自治体といっても、自治という実感はありません。地方政府というのが適切かもしれません。

山本さんのおっしゃるような、「自治」ができる単位としては、大浜松市では大きすぎるのかもしれないので、自治会や町内会とは違う形での地方自治の仕組みを考えたいと思います。
Posted by 大岡敏孝 at 2006年08月02日 12:39
水を差すようでごめんなさい。
カーネーションは、欲しいと思う大多数の人にとっては気の利いたことなのかもしれませんが、カーネーションを見て悲しい気持ちになる人がいることも知ってほしいとおもいます。つまり物事は何でも、ある人にとっては無駄でなくても、ある人にとっては無駄になってしまう場合があるということですね。そして大きな声、強い人の意見は簡単に聞き取れますが、弱者の小さな声はなかなか届きません。でもそれらの小さな声を汲み上げてみると、何が無駄で、何が今必要なのかが見えてくると思うのです。
そういう小さな声をどのようにしたら汲み上げられると思いますか?

余談ですが、東京のある市で、100歳以上のお年寄りにお祝い金を100万円ずつ差し上げる条例が可決されました。長寿を祝うのは良いとしても、そうでなくても生産性のないお金のかかる皆さんに、何故税金からお祝い金を上げなければならないのか、私には全く理解できません。けして姥捨て山的発想で言っているのではありません。
お金をあげることよりも、その人の100年間の体験を書き留め後世に残していく方が、形ばかりの市長の訪問より よっぽど長寿のお祝いになるような気がするのです。そしてそれらは私たちにとっても貴重な財産になっていくように思います。

ちなみに私は一介の主婦です。
大岡さんのことは、初めて立候補されたとき自転車で走り回っている姿を拝見してから、「浜松にもおもしろい人がいるなぁ」と思い気にかけて参りました。私みたいな人が他にもたくさんいると思います。
誰もやったことがないような政治をして欲しいと心から思います。
Posted by チェリブロ at 2006年08月02日 13:33
>チェリブロさん

はじめまして。私も大岡さんを応援している一人です。

> カーネーションは、欲しいと思う大多数の人にとっては気の利いたこと
> なのかもしれませんが、カーネーションを見て悲しい気持ちになる人
> がいることも知ってほしいとおもいます。

私も「例えば」と前フリしていますし、大岡さんもカーネーション「のような」
と、あくまで「気の利いたシチュエーション」の一例で表現しています。

100歳以上のお年寄りに100万円をプレゼントも、市民全員で長寿を
祝うという観点、長寿の方を支える家庭のご苦労を労うという考え方を
すれば、私は、まんざらムダには思えない気もします。
赤の他人かも知れませんが、「ご長寿さん、長生きしてて良かったね」
と笑ってお祝いする気持ちも欲しいなぁって感じます。

ご気分を害したら、ごめんなさい。
Posted by 山本 at 2006年08月03日 08:22
言葉が足らなくてごめんなさい。
もちろん例えばの一例であることは承知の上でのコメントです。
例えばカーネーションを見ても、と入れれば良かったですね。
例は他の何と入れ替えてもらってもいいのです。

あと長寿の件は、市長が手みやげにお金を持って訪問して終わり、というのが本当の意味でのお祝いなのかなと疑問に思うのです。
出来れば、私も笑ってお祝いしたい気持ちは山々で、目くじらを立てるほどのことではないのかも知れませんが、
先人としてせっかく持ってらっしゃる貴重な体験をそのままにしてしまうのは惜しい気がして。
家庭の中で戦前、戦中の体験を話してくださる人が身近にたくさんいらっしゃいますか?物にあふれた今が当たり前の生活の中で、物のない時代の生の声を残していく必要を強く感じているだけについ・・・。

 更にお金について言えば、私の考え過ぎなのだと思いますし、もっと気楽に考えればいいのですが、私の周りにいる、その日暮らしが精一杯のひとの生活を見ているとそれが出来なくて・・・でも本当に必要なのは、もっと違うところの無駄を無くすことだとは思います。

山本さんのご意見「一万円の減税より・・・・」
私も全く同感です。
Posted by チェリブロ at 2006年08月03日 13:06
>チェリブロさん

> あと長寿の件は、市長が手みやげにお金を持って訪問して終わり、
> というのが本当の意味でのお祝いなのかなと疑問に思うのです。

現実には、訪問する首長は、何の感情もなく社交辞令だけで
しょうね。例えのカーネーションだって、職員の心が少しだけでも
こもっていなければ、かえって悲しくなってしまうかも。
私も本音はチェリブロさんと同じなんです。(笑)

市民ひとりひとりから集めた税金=大切な行政の運営費と感じて
いるのか、所詮は自分の腹は痛まない他人の金と考えているかで
同じ税金の使い方でもムダになったり活きたりするのでしょうね。

子育にも似ていますが、放置したからダメな行政になってしまった。
叱り付けてみたら…猛反発。じゃ、今度は少し褒めてみよう。
てな具合で、行政には、大切な税金をどう使ったら市民が喜ぶのかを
学んでもらいたいのです。
Posted by 山本 at 2006年08月03日 17:18
★カーネーションと100万円
 二つの例がきっかけで良い議論が始まったと思いました。お二人とも今の政治と行政に対する熱いご意見ですね。
 私の判断基準ではお花もお金も両方とも反対です。というのはこの議論は大きな政府と小さな政府の考えだと思います。大きな政府は何から何までやってくれる超福祉国家、小さな政府は自由競争を基本にする税負担の思い切り少ない国のイメージだと思います。また戦後の復興期や明治維新の後のような国の危機の時には護送船団方式のように国が多少強引に政策を実施して経済や貿易を引っ張っていくタイプの大きな政府もあったかと思います。
★大きな政府と小さな政府の間に答え
 時代やその国、地域のおかれている環境により、大きな政府と小さな政府の間にどこかバランスのとれたサイズ(考え方)のあるべき政府像が見えると思っています。そして今は小さな政府に舵をとるべき時代に差し掛かっていると思っています。小泉・竹中・宮内ラインのまやかし改革ではなく、本当の改革をするべきときだと感じています。
★別の見方
 別の見方をすると、施策には4つのレベルがあるかも知れません。①やるべきこと②やった方がいいこと③やらない方がいいこと④やるべきでないことです。お花もお金も、ちょっと見では②と③の間のように見えます。私の反対論はお花もお金も④と思うからです。その理由はそれをすることにより、未だ残っている①に使えるお金がなくなると思うからです。
★やるべきことは
 身の回りをみても高齢化、教育、虐待、リストラ、自殺、失業、フリータなどの身近な問題があり、地球全体を考えれば資源の枯渇や、水とエネルギーと食料の問題など課題が山積みです。それらの①に使えるお金は1円でも大事に使ってほしいと思う気持ちで一杯です。
★カーネーションやお金のプレゼントは多少でも良い仕事をみつけ余裕のあるお孫さんや、近くの親しい人が、本当に親身な思いでお祝いする方が、もらった方方はもっと嬉しいのではないでしょうか。顔の見えない税金ではなく。
Posted by 秋山雅弘 at 2006年08月05日 14:02
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