今日も一日自宅軟禁でしたが、調子もだいぶ良くなりました。発熱の第2波も終わったようです。
しかし、先日の衆議院選挙はものすごい嵐でしたね。小選挙区制というのはこれほど極端に振れるのかと、あらためて痛感しました。
前々回に小泉ブームで自民党に入れた人が、今度は反麻生ブームで民主党に入れたんでしょうか?それともそうではなく、前回小泉効果で自民に乗った人は、今度も自民に乗っており、その一方で小泉さんがぶっ壊した自民党の方々が民主に流れたのでしょうか?
選挙の票は、トレーサビリティがないので、こういった分析ができません。こういうことは、それぞれの勘に頼っています。その、それぞれとは、有力政治家であったり、政治評論家であったり、それぞれのマスコミの政治責任者だったりして、おそらく本当に何が正しいかは誰もわかっていないんだと思います。また、そういったことが、選挙を複雑怪奇にし、一般国民が手を出しにくいブラックボックスにし、「小沢さんは選挙に強い」とかいう伝説ができる下地になっているのでしょう。
一方で、「この選挙で二大政党制が確立した」という分析も聞きますが、本当でしょうか?私にはどうも、そうは思えません。
というのも、今が二大政党かというと、片方が300、もう片方が100ちょっとですから、二大政党とはいえませんね。前回まではその逆でした。つまり、今の選挙情勢では、どちらか一方に極端に振れ過ぎて、二大政党としてのけん制機能が働かなくなってしまっている気がします。クルマでいえば、均衡したブレーキとアクセルがあれば上手にスピードをコントロールできるのですが、選挙のたびにブレーキかアクセルのどちらかが壊れて機能しなくなるような感じです。本当にそれでいいのでしょうか?これで二大政党制とは言えない気がします。
私はその原因は、「党のみで候補者を選び過ぎている」ことだと考えています。政治をやるのは人ですから、一番の根本には「人物本位でふさわしい人を選ぶ」ということがあるはずです。政治家それぞれの人物、人格がまずあって、その上に、政党の理念があり、政策があり、方針があるんだと思います。もちろんそれは政治の世界だけに限らず、サラリーマンの世界でも、最初にその人物の人格や能力があり、その上に肩書や立場、会社の看板などがあるはずです。
それが、今の選挙を見ていると(これは自民・民主問わずですが)、一部の選挙区では、人格や実力などはどうでもいいからとにかく(見た目重視で)候補者を立てて、選挙の期間中は政党名と決まったフレーズの連呼で有権者に選ばせる。そうすると、あとからいろいろボロが出て、その人物がとんでもない人間だとわかると・・・知らなかったとか報告がなかったとか、選んだのは有権者だとか・・・責任を逃れたり、たたき始めたり。まあこんなことを何度繰り返しても、政治不信が強まるばかりで、国民が選挙を上手に活用するということができないのではないかと思います。
私としては、やはり政治の原点である「まず人物ありき」を、もっとマスコミの方々などが言っていただければと思っています。国民が、それぞれの選挙区が、「この人物なら」ということで送り出してきた方々による国会の論戦こそ、本当に見ごたえがあり、価値があるものだと思います。
もうこの2回の選挙で気づいたはずですから、そろそろ「人物本位」で選挙ができるようになってほしいものです。