今日の夜は、行革審の「とりあえずの」最終日でした。
一応任期は年度末までですから、スタッフは継続的に調査活動を進めるんでしょうが、来年4月には選挙がありますからねえ・・・そっちのほうがこの際大事ですから、しばらくは事務レベルでの活動ということになりそうです。
今日は、これまで顔を出さなかった市長もついに出席して・・・白熱した議論を期待したのですが・・・かみ合いませんでしたね。まあ、そもそも、こういったある程度議事進行が形になった中での議論は、そんなもんです。質問者が悪いとか、市長がはぐらかしたとか、そういう問題以前に、普通はこうなると思います。
市議会でもそうですし、国会の党首討論でもそうじゃないですか。お互い認識がずれている、意識に温度差がある、そんな状態で、質問者が一通り聞いて、答弁者が一通りこたえるようなスタイルでは、議論がかみ合わないまま終了するのが、普通です。一通り質問して、一通り答えれば、「あなたはやっていない」「いえ、がんばってやっています」それで終了になるのが普通です。党首討論などは、一問一答でもかみ合わないまま終わるんですから。
朝まで生テレビとか、TVタックルのように、近い場所で向かい合って座ってフリートークのようにやれば、それは相当面白い議論になりますが、逆に面白いだけで収拾がつかなくなることもありますし、議論慣れしたメンバーばかりならいいのですが、そうでない場合には発言できずに終わるメンバーも出てしまいますし・・・公開の行革審、ましてバリバリの経営者だけではなく、市民代表という立場の方もいらっしゃる中では難しいんでしょうね。
とはいえ・・・成果は非常に大きかったと思います。それは、「温度差がある」「認識にずれがある」「スピード感にずれがある」ということがはっきりしたんですから。これは、本当に大事なこと、一番根本のことです。温度、認識、スピード感にずれがあれば、残念ながら一緒に仕事をすることはできません。これは、会社でも政治でも改革でも、同じことです。
これまでは部長が全部こたえていたので、彼らは「悲しい宮仕え」でもあるし、自分の本心はそう思っていなくても組織としてそうしている場合は、組織やトップの意向に従って答えざるを得なかった。だからこれまでは、部長の発言が「トップの意向」なのか、それとも「トップは改革派だけど部長が言うことを聞いていない」のか、わからなかったんです。それが今回のことで、「市長や助役といった市のトップが改革に抵抗していたんだ」「市のトップとの間に大きなずれがあったんだ」ということがわかったのですから、それでいいんです。
あとは、それを市民がどう判断するか、次の政治をどちらの方向性に託すのか、その材料を提供すればいいんですから。選ぶのは市民ですが、その選択肢を提供するのは政治の大事な仕事です。
同時に、ここまでやった以上は、選択肢を提供することは、「行革審の」大事な仕事とも言えるでしょう。
私は、とにかく改革をしなければならないと思っています。そうしなければ、浜松の活力は維持できないという強烈な危機感を持っています。そうしなければ、市民の暮らしを良くするため、子どもたちに良い教育を与えるため、老人が安心して年を取れるための政策が進められないと思っています。
その大目標のためには、自分の思いを一時は捨てて、一兵卒となって改革派市長を作るために粉骨砕身働ければ、と思っています。